「支払い側から見たバイオシミラーの普及啓発について」
少子高齢化の進行による医療費や介護費の増加により医療保険者の収支は厳しさを増しており、さらなる医療費適正化の取り組みに迫られています。その医療費適正化にバイオシミラーがどのように貢献できるのか、また普及啓発にはどのような戦略が必要なのか。支払側の立場として、日本最大の医療保険者である全国健康保険協会(協会けんぽ)の北川博康理事長をお招きし、お話を伺いました。
(対談日:2024年9月11日)
国民の3分の1が加入する協会けんぽ
ジェネリック医薬品使用割合は80%を達成
黒川 国民医療費の増加が進むなか、各医療保険者は厳しい財政状況に置かれていると思いますが、全国健康保険協会様では黒字を維持されており、尊敬の念を抱いています。
北川 ありがとうございます。全国健康保険協会は「協会けんぽ」という愛称で皆様に親しまれていますが、主に中小企業の従業員を対象とした医療保険を運営する団体です。労働者の医療保険の最後の受け皿という役割も担っており、加入者数は国民全体の約3分の1にあたる約4,000万人います。加入事業所数は約270万で、そのうち8割は従業員数9人以下の小規模事業所です。
協会けんぽの運営は、本部と都道府県ごとに47の支部があり、支部ごとにその地域の実情に応じた取り組みを行っており、保険料も支部ごとに使われる医療費に応じた形で分配をしています。
収支ですが、収入は被保険者と事業主の皆様に納めていただいた10兆円を超える保険料と、国からの補助金により約11兆円となっています。支出は、加入者が受診した医療機関に支払う保険給付金が約6割、そして高齢者医療への拠出金等が約4割を占めています。おかげさまで14年連続の黒字を維持していますが、少子高齢化がさらに進む状況においては高齢者医療への拠出金等が急増することなどが見込まれており、赤字決算となるリスクは目の前に迫ってきています。
黒川 協会けんぽ様といえども楽観視できる状況ではないとのことで、保険財政の厳しさを物語っていると思います。国全体に目を向けてみますと、世界に冠たる国民皆保険制度の継続が課題となっています。
北川 国民皆保険制度は、日本国民には空気、水のようにあって当たり前のものとして受け止められていますが、世界に目を転じると、フリーアクセスが確保され質の高い医療を極めて低廉な自己負担で受けることができる、世界に類を見ない非常に優れた制度であることは間違いありません。
黒川 おっしゃるとおりで、国民皆保険制度はありがたいものというより、むしろ当然みたいな形になってしまっていると思います。この制度を今後も維持していくために各方面で医療費適正化に取り組まれておりますが、医療費のなかでも調剤医療費は約8兆3,000億円、伸び率は5.6%と労働者の給料の伸びより相当高い状況です。協会けんぽ様では、これまで医療費抑制のためにジェネリック医薬品(以下、GE)の使用促進に取り組まれてきたと思いますが、その取り組みについてお伺いさせてください。
北川 GEの使用促進については、協会けんぽとして大変力を入れて取り組んできた歴史がございます。近年では、経済財政運営と改革の基本方針2021、いわゆる骨太の方針において「2023年度末にすべての都道府県で数量シェア80%以上とする」という目標が設定されました。これを踏まえまして、協会けんぽの2021~2023年度中期計画である第5期保険者機能強化アクションプランにおきまして、全支部でGEの使用割合を80%以上にするという目標を設定し、取り組みを進めてまいりました。また、2024年度から開始した第6期保険者機能強化アクションプランにおいても、GEの使用割合が80%以上の支部はこの水準を維持向上できるよう努め、80%未満の支部についてはデータ分析等によって重点的に取り組む地域や年齢層を明確にし、一層のGE使用促進に取り組んでいます。このような取り組みの結果、2024年4月時点で47支部中46支部においてGE使用割合が80%以上を達成し、全支部の平均使用割合は84.2%となっています。残りの1支部についても、およそ1年以内には達成できるのではないかと考えています。仮に加入者全員がGEを使用いただくと約4,000億円の医療費適正化効果があると推計しており、これを目指して今も取り組みを続けています。
黒川 GEの使用割合80%という目標を達成されるまでに、さまざまな取り組みをされてきたと思います。
北川 非常に反響が大きかったのは2009年度から開始した、服用している先発医薬品をGEに切り替えた場合の自己負担軽減可能額を加入者にお知らせする「ジェネリック医薬品軽減額通知」です。また、医療機関ごとにGEの使用割合や地域での立ち位置、GE使用割合の向上に寄与する上位10品目等を見える化した医療機関および薬局向けの見える化ツールを策定しまして、医療機関や薬局への働きかけも実施してまいりました。ただ、協会けんぽだけでここまで進められたわけではなく、都道府県を中心とした多くの関係団体と連携し、地域全体で協力して実現できたと考えています。
医療費適正化の次の柱はバイオシミラー
普及促進のメインターゲットは医療関係者
黒川 バイオシミラー(以下、BS)につきましても、第4期医療費適正化基本方針において「2029年度末までにBSのある成分のうち数量ベースで80%以上置き換わった成分数が全体の60%以上にする」という目標が定められました。目標が設定されたことについて、私共はBSによる医療費適正化に期待いただいていると捉えており、目標達成に向けて取り組んでいるところです。また、厚生労働省からはBSによる医療費適正効果額が試算されており、2021年度では480億円、2023年では911億円と、伸び率は非常に高いです。バイオ医薬品は高額ですから、これが伸び率にあらわれていると考えています。協会けんぽ様から見て、BSに対する期待はいかがでしょうか。
北川 近年、バイオ医薬品の市場が急速に拡大しています。また、医療費適正化の大きな柱であったGEの使用割合が80%を超えており、これまでと同じような伸びは期待できません。そうしたなかで第4期医療費適正化計画を進めていく上でも、BSが次の大きな柱になると認識しており、BS普及促進策の検討、取り組みを進めているところです。
黒川 BSに期待をいただき、ありがとうございます。現代の医療では、バイオ医薬品でなければ期待された治療効果を示せないケースがあり、代替薬もないことがほとんどです。そのようなバイオ医薬品を安価に提供できるのがBSです。しかし、”バイオシミラー”という言葉は、2000年代に入ってから使われるようになった比較的新しい言葉です。一般の方にとっては”バイオ医薬品”という言葉すら難しく、さらにその先にある“バイオシミラー”という言葉を理解いただくのはさらに困難で、認知率は低いのが現状です。一般の方に対するGEの普及啓発活動のご経験がある協会けんぽ様から見て、BSの認知向上についてご意見をいただけますでしょうか。
北川 協会内でBSの普及啓発の議論を重ねていくなかで、GEとBSは若干異なるという意見がでてきています。まず、BSはGEに比べて主にシリアスな疾患の治療において使用されるという特徴があります。GEが多くの方に認知されるまでにはさまざまな施策と相当の時間を要したこともありますが、かなり裾野の広い医療現場で使用機会があったということも挙げられます。一方、BSを実際に処方される場面に遭遇される方は非常に少ないのではないかと思っており、これは非常に大きな違いと認識しています。また、先発医薬品とGEは患者さんが選択していますが、先行バイオ医薬品とBSの選択は、患者さんの希望もありますが、医師のご指導・ご説明が大前提になると想定しています。このような違いを考慮しますと、一般の方に広くBSを認知いただくことは必要だと思いますが、戦略的に考えるならば医療関係者への認知を向上させることが優先されると考えています。
黒川 今のご指摘のようにGEとBSの違いを考えますと、確かに医療関係者に認知いただくことが戦略的アプローチだと思います。
フォーミュラリの推進に注目
セミナーや医療機関の個別訪問を通してBSを訴求
北川 そのような考え方のなかで、協会けんぽとして注目していますのが「フォーミュラリ」です。フォーミュラリは「医療機関において、患者に対する最も有効で経済的な医薬品の使用方針」を意味するものですが、重要なことは「最も合理的な医薬品の選択」という点だと思っています。医療現場では患者さんが目の前にいるので「経済的な観点からの適正な医薬品はこちらです」というよりも、「この病気にベストな治療のために最も合理的で適正な医薬品はこちらです」ということが大切ではないかと思っています。
黒川 BS普及の観点からは、その合理的な医薬品選択にBSが含まれるようになれば良いということですね。
北川 そのような形になれば、フォーミュラリを推進していくことで、BSも自然と普及していくことになるかと思います。
黒川 その他に注目されていることはありますか。
北川 協会けんぽでは、医療機関を対象にBSに関するオンラインセミナーを開催しており、BSの普及促進の意義や促進の取り組み事例を紹介しています。
また、第6期保険者機能強化アクションプランや今年度の事業計画におきまして、BSの使用目標を定めて使用促進を図る活動を行っています。今年度では、BSの情報提供ツールを活用した医療機関へのアプローチ事業というものをパイロット的に10支部で先行して実施しています。これは、医療機関ごとにBSの使用割合を見える化できるツールを作成して各医療機関に訪問し、BSの基礎知識や使用率、県平均との比較等の情報提供を行うことでBSの普及促進を図っています。
このように医療費適正化計画を都道府県と一緒に進めていくことと合わせて、ターゲティングをした上で啓発活動を実施していくという取り組みも始めています。
医療関係者には「選択してもらう」アプローチを
患者には「拒否しない」アプローチを
黒川 メインターゲットは医療関係者とのことで話を進めてきましたが、患者側について話をしていきたいと思います。
高額療養費制度や指定難病制度、これらは国民にとって大変ありがたい制度ですが、BSにおいては、これらの制度により自己負担額が変わらなかったり、稀にBSを選択することで制度の適用金額に達せず自己負担額が高くなるという逆転現象がみられることがあります。そのため、自己負担軽減というアプローチの成果が出ていません。
北川 高額療養費制度は世界に誇れる制度です。ただ、BSに関しては、その制度があるが故に費用軽減が実感しにくいというデメリットが生じています。先程も申し上げましたが、ジェネリック医薬品軽減額通知はGE普及施策のなかで非常に手応えを感じた施策です。加入者が通知を見ることで、GEを使えばこれだけ節約できるという実感を抱けることが効果に繋がったと考えています。しかし、BSでは自己負担額は変わらないことがありますので、同じ施策を行っても同様の効果は見込めないと思います。医療保険制度や介護保険制度に対する医療費適正化に貢献いただけます、というお知らせは可能ですが、実感が沸かないバーチャルな数字のようにしか捉えていただけないでしょう。個人のお財布のためではなく、国民みんなのお財布のために、という切り口でどこまで訴求できるのかを考えていく必要があると思います。
黒川 私共もまさに知恵を絞っているところでございますが、国民皆保険制度などを維持していくためにご協力いただけないか、ということをうまく訴えていきたいと思います。
北川 少し話が変わりますが、医師が、BSは先行バイオ医薬品とは少し違うものですけど有効性と安全性は同じですよ、と患者さんに説明する必要があるのかなという思いが少しあります。BSは有効性・安全性についてしっかり検証されていると伺っています。
黒川 BSに限らずバイオ医薬品は、微生物や細胞のなかで産生、つまり生命の作用をお借りして産生されます。生命に多様性があるように、産生される成分にも少しずつ違いが生じます。分析技術の進歩により、発見される違いはおそらく増えていくと思います。一方で、臨床試験の実施の基準(GCP)に則り臨床試験を実施し、先行バイオ医薬品と有効性、安全性に差がないことを検証しています。また、市販後調査も行い、有効性、安全性に差がないことを継続して確認しています。従いまして、安心してご使用いただく基盤となるデータは揃っていると考えています。
北川 GEよりもしっかりと有効性と安全性を検証するプロセスを経ているのであれば、先行バイオ医薬品とBSを区別せず、先行バイオ医薬品を処方するときと同じようにBSを処方するだけで十分なのではないかという思いがあります。
GEでは同じ効果で自己負担が軽減することから「GEを選択してもらう」アプローチを行ってきましたが、BSでは、医師にBSを選択してもらい、患者には処方された際に「BSを拒否しない」アプローチが必要なのかもしれません。
黒川 今のご意見は、非常に的を射ていると思いました。BSでは、有効性・安全性が異なる恐れがあってはいけませんので、同等性を証明するために臨床試験を実施し、市販後もモニタリングしており、医療現場においては安心して使っていただける医薬品となっています。
北川 ですので、BSを選択するのは医師、処方されても拒否しないのは患者、という構図になるのかと思います。
黒川 そういう意味で考えますと、フォーミュラリがますます重要だと思えてきます。
北川 そうです。フォーミュラリが一番有効かつ戦略的に力を入れるべきところなのかなと、お話ししていて改めて思いました。
製薬業界は安定して患者まで届ける供給体制を
BSの普及促進を通して日本の産業の柱に
黒川 製薬業界に対して何かご意見はございますか。昨今では、医薬品の安定供給が問題となっています。
北川 BSに関しましては、生産を海外に依存しているというお話を伺っていますので、安定的な供給体制を築いていただきたいという思いは強いです。これに関して申し上げたい点がありまして、サプライチェーンという言葉がよく使われますが、BSに関しては製薬企業から医療機関に届けるところまでではなく、これまで申し上げてきましたように患者さんに処方されるところまでを含めてサプライチェーンとして考えるべきではないかと思っています。患者さんに使われるところを太くしていくことで、BSの重要性が高まり、その結果、海外生産から国内生産にシフトしていくことも可能なのではないかと思っています。
黒川 安定した供給体制の構築ばかりに目が向いてしまいがちですが、BSに関してはエンドユーザーである患者さんに届けることを考える。そのためには医師にBSを認知いただき、処方いただくよう取り組んでいくことが重要ということを今一度認識いたしました。
北川 大きな視点では、製薬業界は日本の産業の柱になっていただきたいという思いを非常に強く持っています。BSの普及を通じて、安定した供給体制を構築できることが、世界で勝負できる要素になってくるのではないかと思っています。日本の品質の良さは世界で認知されていますので、製薬業界の発展は日本全体にとっての福音になるとともに、日本の成長の大きなエンジンになっていくだろうと期待しています。
黒川 非常に大きな期待を抱かれており、それが実現されるために、少しでもお役に立てるよう私達も精進していく所存です。本日は大変すばらしいお話をお伺いできたと改めて感銘を受けております。ありがとうございました。
●北川 博康(きたがわ ひろやす)
1984年東京大学経済学部卒業後、三井銀行入社。三井住友銀行 執行役員、三井住友フィナンシャルグループグループ事業部長などを務める。2015年より株式会社セディナ 取締役専務執行役員、2020年よりさくら情報システム株式会社 代表取締役副社長を務めた後、2023年より全国健康保険協会 理事長に就任。
●黒川 達夫(くろかわ たつお)
1973年千葉大学薬学部卒業後、厚生省(当時)入省。薬務局 監視指導課等を経て、WHO職員。その後、科学技術庁、厚生省大臣官房国際課、新医薬品課、安全対策課長、大臣官房審議官等を歴任、2008年退官。その後千葉大学大学院薬学研究院特任教授、2011年より慶應義塾大学薬学部大学院薬学研究科教授。2016年より日本バイオシミラー協議会理事長。博士(薬学)。